【原爆の爪痕が】長崎市浦上地区で原爆投下に関する施設を散策しよう

九州

長崎に行って原子爆弾に関する遺構や名所を見てみたい。

今回の記事では、このような疑問に答えていきます。

前回の記事に引き続き、今回も長崎市の地区別のおすすめ散策コースを作成しました。

 

今回の記事で取り上げるのは、原爆投下時に最も酷い被害を受けたとされる長崎市の浦上地区。

ここは爆心地周辺という事で、原爆に関する遺構や博物館が集中しているエリアです。
この場所に行けば、今まで気づくことのなかった原爆被害の恐ろしさを、たくさん学ぶことができます。

というわけで今回紹介する散策コースは、

① 平和公園

②浦上天主堂

③爆心地記念公園

④原爆資料館と長崎原爆死没者追悼平和祈念館

⑤山王神社のクスノキ
という順番で紹介します。
長崎観光へ行く際の参考にしてください!

長崎市浦上地区で平和を学ぶ①  平和公園

 

 

右手を高々と上げた躍動感のある巨大な像があるのが、平和記念公園です。

原爆で亡くなった人を追悼し、永久の平和を祈るために1955年に完成した平和記念公園。

長崎市電の「平和公園」電停で下車して、大通りに出てすぐのところに入口があります。
公園は丘の上にあるので、入口にはエスカレータが完備されていました。
これに乗って、公園内を散策していきましょう。
エスカレーターを降りたら、目の前に大きく綺麗な噴水がありました。
この噴水は「平和の泉」と言います。
原爆投下直後の長崎の街には、水を求めて多くの人が彷徨い命を落としていった聖餐な光景が広がっていました。
原爆投下直後に水を飲めずに亡くなった犠牲者を追悼する意味で、この噴水が造られました。
噴水の前の石碑には、ある少女の手記から引用された生々しい文章が記されています。

喉が乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました。

公園内にある噴水には、このような被爆者達の苦しみを癒すための意味があるんですね。
他にも、噴水の近くには「長崎の鐘」という犠牲者を追悼する意味を込めた鐘や、世界各国から送られた平和を祈るモニュメントが展示されています。
平和公園の1番奥にあり、象徴とも言えるのが、こちらの平和祈念像です。
平和祈念像の目の前は、広大な広場になっています。
毎年8月9日の長崎原爆の日には、この場所で追悼式が行われる事でもおなじみのこの場所。
訪れたのは7月の下旬ということで、追悼式の準備が像の近くで行われていました。
夜にはライトアップされる平和祈念像。
右手は原爆の脅威、左手は平和を表しています。
そして右足は原爆投下直後の長崎を、左足は助かった命という意味で造られました。
後ろから平和祈念像を見ると、このような感じです。
台座のところには、像を制作した作者の平和へのメッセージが記されています。
平和公園を見学したら、象の右側に出口があるので、そこを出て坂を下っていきましょう。
次に見学するのは、浦上天主堂です。

長崎市浦上地区で平和を学ぶ② 浦上天主堂

 

 

次に紹介する浦上天主堂は長崎、いや日本最大規模のカトリック教会で、長崎を代表する観光名所の一つでもあります。

 

 

平和公園から見た浦上天主堂です。

平和祈念像の右側に出口があって、そこから階段を下って徒歩6分ほどで、浦上天主堂に到着します。

江戸時代からカトリック信者の多かったこの浦上の地に、1914年に完成した浦上天主堂でしたが、1945年の原爆投下によって破壊され、教会内にいた信徒全員が命を落とすという悲劇に見舞われました。

その後、長崎市の協力によって天主堂の再建計画が市議会で可決され、1959年に旧天主堂の外観を残して再建され、現在までに至ります。

 

 

教会の西側には、原爆で倒壊した天主堂の旧鐘楼の瓦礫が、遺構としてこのように残されていました。
ちなみにこの瓦礫、原爆投下時に崩れ落ちた時のまま現在まで保存されているそうです。

天主堂の東側には、天主堂再建にまつわる聖母像や破壊された天主堂内の遺構や、再建に至るまでの貴重な写真を紹介した博物館があります。

宗教施設の為、教会内部の撮影は禁止となっていますが、教会内と博物館は無料で見学することができるので、気軽に入ってみましょう。

教会内のステンドグラスと、キリスト像の美しさは必見です。

グラバー園の隣にある大浦天主堂は世界遺産の「潜伏キリシタン関連遺産」に指定されてますが、浦上天主堂は指定されてません。

 

天主堂の見学を終えたら、平和町商店街を真っ直ぐ進んで行ってください。
松山町の交差点に差し掛かったところが、次に紹介する爆心地公園です。

 

長崎市浦上地区で平和を学ぶ③  爆心地公園

 

 

1945年8月9日午前11時2分、アメリカによって投下された原子爆弾はこの場所の上空500mのところで大爆発を起こし、多くの犠牲者を出しました。

ここは、爆心地であるのを示す爆心地公園。
写真は落下地点に設置された落下中心地碑です。

中心には、黒御影石の石柱モニュメントがあり、原爆犠牲者の名前が記された名簿が収められています。

 

 

石柱の横には、先程紹介した浦上天主堂の遺壁が静かに置かれていました。
これを見ると、原爆の恐ろしさを改めて実感し、物悲しい気持ちになりますね。

この他にも、園内には被曝当時の地層が展示されていて、地層内には70年以上たった今でも家の瓦やレンガ、溶けたガラスなどが大量に地層に埋まっているのを直接見れます。

被曝当初、この場所は70年以上草木が生えない」と言われ続けましたが、70年たった今では緑溢れる本当に美しい公園になりました。

公園内には沢山の慰霊碑がありますので、時間の許す限り祈りを捧げていきましょう。

 

爆心地公園を見学したら、次は向かいにある長崎原爆資料館と長崎原爆死没者追悼平和祈念館へ行きましょう。

長崎市浦上地区で平和を学ぶ④  長崎原爆資料館

 

 

ここは、長崎を訪れるなら必ず行かなければならない場所です。
爆心地にほど近いこちらの原爆資料館。
原爆投下後に撮影された長崎の風景や映像、犠牲者の遺品、実際に原子爆弾の熱線で溶けた鉄骨ややぐらなど、被爆直後の様子が鮮明にわかる資料を通して、原爆の悲惨さを後世に伝えるための博物館です。
現在の原爆資料館が出来たのは、比較的最近の1996年で、それまでは長崎国際文化会館というホールや博物館を兼ねた建物の中に原爆資料が展示されていました。
薄暗く不気味な雰囲気のする館内の入口には、被災した浦上天主堂と爆発によって壊滅した長崎の街の様子が模型で再現されていました。
館内には最初にも紹介した原爆による悲惨な被害の実情の他に、
  • 原子爆弾のメカニズム
  • 放射線による被害の実情
  • 自ら被爆しながら命をかけて、救護や原爆障害の研究に励んだ永井隆先生に関する展示
  • 核兵器開発の歴史
  • 世界各国での平和活動

などと、様々な視点から原爆の悲惨さを伝えています。

 

 

展示物は、かなりセンセーショナルなものが多く、胸が締め付けられるものばかりです。
しかし、被害の現実を目の当たりにする事で、少しでも実情を学ぶ事が大切だと思います。
なので心して見に行きましょう。
入場料は安く、大人200円、小中高生100円。
開館時間は
  • 9月〜4月 8時30分〜17時30分(最終入場17時)
  • 5月〜8月 8時30分〜18時30分(最終入場18時)
  • 8月7日〜9日 8時30分〜20時(最終入場19時30分)
と季節によって異なるので、間違え無いようにしましょう。
続いて、原爆資料館の隣にある長崎追悼平和祈念館へ足を運びましょう。

長崎市浦上地区で平和を学ぶ⑤  国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

 

原爆資料館の隣にあるこちらの美しい建造物が、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館です。
2003年にオープンしたこちらの祈念館は、原子爆弾によって亡くなった犠牲者を追悼し、恒久の平和を祈るために建設されました。
入場料は無料です。
祈念館の外観は噴水のようなモニュメントになっていて、中央の階段が祈念館の入口になっています。
ひろたか
ひろたか

このモニュメントは、原爆犠牲者が求めた綺麗な水をたたえるという意味で造られました。

夜になるとライトアップされて、原爆の犠牲者と同じ7万の光が一斉に光ります。

水の音が優しく響いて、それを聴いているとなんだか心が癒される気分になりました。

 

この祈念館の役目は、

  • 原爆で犠牲となった人の名前が記された名簿の保存
  • 被害者の原爆体験記など原爆関連資料の収集
  • 死没者の遺影の保存(端末を利用して検索ができる)
  • 平和活動の発信
といった事を行っています。
体験記は資料室で読んだり、音声として聞く事も可能です。
館内は追悼施設という事で、とても厳かな雰囲気でした。
こちらは交流ラウンジから見た滝です。
長崎の原爆関連の施設には、とにかく水に関するモニュメントが多い事がよくわかります。
この場所は休憩スペースの他に、原爆被災者の被爆体験を綴った手記の朗読会を行っていました。
朗読会は毎週末と祝日の毎時00時、30分から15分程度開催されています。
もし時間に余裕があったり、重い展示ばかりで心が重くなってしまったら、隣にある長崎市歴史民族資料館も訪れて見てください。
長崎の歴史や文化に関する資料が豊富に展示されていて、石器時代から中国、オランダ、ポルトガルといった外国文化にまつわる物や伝統工芸品など、長崎の歴史が一目でわかる資料館です。
入場は無料なので、気軽に見学してみましょう。

長崎市浦上地区で平和について学ぶ⑥  山王神社の鳥居とクスノキ

次に向かうのは、山王神社です。
平和祈念館から徒歩10分、または浦上駅から徒歩7分で到着します。
この山王神社は、原爆の破壊力を語り継ぐ遺構のある神社として知られています。
神社の境内に行く前に、山王通りにある写真館と銀行の間にある小さな道に入ってすぐのところにある、片方だけしかない鳥居を最初に見学しましょう。
二の鳥居というこちらの鳥居、右半分しかないというインパクトのある状態で保存されています。
左半分はどうなったのかというと、原爆の爆風によって倒壊してしまったのです。
二の鳥居という名前があるように、元々山王神社には4つの鳥居があったのですが、原爆によって2つが完全に倒壊、もう一つは生き残ったのですが交通事故によって倒壊、最後に残ったのがこの右半分だけの鳥居でした。
完全に倒壊してしまった左半分の鳥居は、鳥居の横にこのような感じで展示されています。
バラバラではありますが、確かに鳥居だった形跡は確認が取れるようになっていました。
実際に見てみると、あまりの迫力に言葉を失います。
70年以上、片方だけでこの地に立ち尽くしているのは、単純に凄いなと思いました。
ひろたか
ひろたか

鳥居の真横はなんてことない普通の住宅地なのがさらに凄いと思いました!

これは実際にこの場所に行ってみて、自分の眼で何かを感じてみることをおすすめします。
鳥居を見学したら、今度は山王神社へ向かいましょう。
ここで必ず見ておくべきものが、入口にある2本の大クスノキです。
この立派なクスノキ、原爆投下時に被曝して奇跡的に生き残ったクスノキとして知られています。
原爆によって樹木が折れ、幹には亀裂が入り、枝が全て無くなり被爆直後は丸裸の状態でしたが、その後見事に樹勢していき、現在ではこのように威風堂々とたたずむクスノキになりました。
爆心地にほど近いこの場所、爆風によって全ての植物が無くなっても仕方が無い状況でした。
それでも、強い生命力で生き残った2本の大クスノキ。
見ていると、なんだか不思議なパワーを感じ、元気をもらえるような気分になります。
展望台のようなものが木の横にあって、直接木に触ることもできます。
間近で見ると、木の皮が剥がれている部分もあって、あの時のダメージは70年以上経った今でも生々しく残っていました。
ひろたか
ひろたか

実際に今日まで、何度か枯れてしまうんじゃないかという危機はあったそうです。

この場所は、個人的には原爆資料館と同様に必ず訪れるべき場所です。

クスノキを眺めながら、平和とは何か?というのを改めて考えてみるのもいいかもしれません。

まとめ

というわけで今回は、原爆に関しての見所が多い長崎市浦上地区の散策コースを紹介しました。
今回紹介した浦上地区のおすすめ散策コースは、
  1. 平和公園
  2. 浦上天主堂
  3. 爆心地公園
  4. 長崎原爆資料館
  5. 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
  6. 山王神社の二の鳥居と大クスノキ
の6ヶ所です。
いずれの見所とも、かなりセンセーショナルな場所なので、少し気分が重くなるかもしれません。
しかし、平和とは何か?など改めて色々考えるにはいい場所でもあります。
ここへ訪れたら、犠牲者に静かに祈りを捧げていきましょう。
そしてよろしかったら、今回僕が考えた散策工程を参考にしてみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
長崎観光の参考にしたいなら、こちらの記事がおすすめです。
こちらも参考にしてください!
タイトルとURLをコピーしました