
静岡市の中心部にある観光地で、おすすめのところって無いかな?
この記事は、こんな疑問を持っている方にお届けします。
静岡市に生まれ、静岡市に住んで30年近くに及ぶ私、松井ひろたかが今回おすすめする静岡市の観光地は、静岡市南部の登呂遺跡です。
静岡市の駿河区にある登呂遺跡は、今から約2000年前の弥生時代の水田跡や住居跡があるだけでなく、都市公園として市民の憩いの場にもなっています。
この場所lから、弥生時代の土器や木で作られた道具類が次々と発掘され、弥生時代を語る上で外すことのできない遺跡として日本史で学んだのを覚えている人もいるのではないでしょうか?
博物館や体験施設も充実していて、弥生時代の生活を勉強したいなら、ここにくれば全て学ぶことができます。
静岡観光を考えていて歴史好きな方は、ぜひこの記事を読んで参考にしてください。
目次
登呂遺跡 発掘までの歴史
登呂遺跡は、戦時中の1943年に軍需工場を登呂地区に建設しようとした際に、偶然発見されました。
そして終戦後、本格的な調査が始まり4年近くに渡って考古学、地理学の専門家を中心に発掘作業を続けた結果、弥生時代の水田跡や住居跡、倉庫跡が次々と発見されて、当時の人々を驚かせました。
なぜなら、これが日本で最初に見つかった弥生時代の水田跡だったからです。
その後にも、弥生時代に使用されてた土器や道具が次々と地面から発掘されて、これによってそれまで不明だった日本の稲作文化が、どのようにして築き上げられてきたのか?と言う証拠が初めて証明されました。
そして登呂遺跡での大発見がきっかけとなって、「弥生時代=稲作」というイメージが日本に浸透。
さらにここでの発掘調査をきっかけにして、日本考古学協会という組織が新たに発足するなど、歴史を覆す大事件となりました。
登呂遺跡は日本史を語る上でも、欠かすことのできない価値ある遺跡なのです。
やがて1952年には、その価値を認められ国の特別史跡に指定。
その後も調査は続けられ、1999年には登呂遺跡は弥生時代後期から古墳時代まで存在していた集落だったことなど、様々な真実が明らかになったのです。
そうしたことが評価され、ついに2016年には国の重要文化財にも選ばれました。
これからどのような発見があるか、楽しみですね。
登呂遺跡 公園内の見所を紹介
登呂遺跡は、今から2000年前の村の風景を忠実に再現した遺跡でもあり、都市公園でもあります。
弥生時代の住居跡や水田を歩きながら、弥生時代の文化を感じてみましょう。
公園内には無料で入場できます。
住宅街にあるので高いビルがなく、空が広くて開放感のある公園です。
普段は散歩をする人や、子供連れの親子が芝生で遊んでいたりと、地元の人の憩いの場として親しまれています。
登呂遺跡の見所 東側住居跡と高床式倉庫
まず最初に見ていくのは、東側の方にある住居跡です。
ここには、弥生時代の住居が4つと、高床式倉庫が2つ、祭壇が1つあります。
これが藁葺き屋根の竪穴式住居です。
日本史の教科書に載ってあるそのままでした。
登呂遺跡周辺はかなり地盤の悪い土地で、竪穴式住居を造るには不向きな場所でしたが、住居の周りを盛り土にして、排水溝を作って水の進行を防ぐ工夫がされているなど、かなり念密な計算の上に建てられたものだということが写真を見てもわかります。
こちらの住居は、中に入ることができます。
かなり狭い内部でしたね。
藁の組み立て方を見ていると、かなり丈夫な造りに見えました。
弥生時代の建築技術の高さを実感します。
こちらが高床式倉庫。
収穫した稲を保管する際に使用していた建物で、弥生時代の代名詞として有名です。
4本の柱を使って床を高くしているのは、湿気防止やネズミに稲を食べられないようにしているためで、別名「ねずみ返し」と呼ばれています。
こちらの一際大きい建物は祭壇です。
米の豊作を神に祈るために建てられた建物でした。
大きさは7.2m×4mあり、登呂遺跡で1番大きな建物となっています。
ちなみに祭壇は発掘当初からあったものではなく、1999年の再調査で明らかになったとのことです。
そのことがきっかけで、この場所に再現されました。
登呂遺跡の見所 西側住居跡と学びの広場
登呂遺跡の西側には、先述した住居跡とは別の住居跡があります。
旧復元建物と言われているこちらの住居と高床式倉庫は、登呂遺跡で最初に再現された建物とのことです。
居住跡の前には、美しい緑の芝生広場が広がっています。
「学びの広場」と呼ばれているこの芝生広場は、火起こしや土器で米を炊くといった、2000年前の弥生時代の生活の体験学習イベントが開催される場所です。
参加するのは家族連れの人達や、社会科見学で訪れた小学生で、毎週末定期的にイベントを開催しています。
登呂遺跡の見所 復元水田
公園内には、広大な水田があり、秋の収穫期には写真のように美しい稲穂が実ります。
水路やあぜ道は当時のままで再現されていて、弥生時代の水田がどのように形成されていたのかがはっきりとわかるようになっていました。
あぜ道は自由に歩くことが可能で、広い空を感じながら気持ちよく散歩することができます。
水田は登呂遺跡公園の半分以上を占めていて、現在大きな区間が50区画ほど存在しているほど広大な土地です。
登呂遺跡の見所 芹沢銈介美術館
静岡市出身の画家、芹沢銈介氏の作品を展示している美術館で、登呂公園内にあります。
芹沢銈介は、渋紙を貼った型紙と防腐糊を使って布に色を染めて絵を書いていく「型絵染」で一躍有名になり、1956年には人間国宝にも指定されました。
館内には、型絵染だけでなく幅広いスタイルに挑戦した芹沢渾身の作品が年代ごとに展示されていて、芹沢の多才ぶりを知ることができます。
美術館の横には、芹沢が東京で暮らしていた時の住居が再現されて建っていました。
美術館が開館されている日曜日と祝日に無料で開放しています。
入場料は、
大人 420円
高校大学生 260円
小中学生 100円
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)休館です。
登呂遺跡 登呂博物館
登呂遺跡で出土した土器や道具の展示や、弥生時代の文化を紹介する博物館です。
前身の「静岡考古館」から1972年にリニューアルされた博物館で、2010年に再整備によって現在の綺麗な建物に生まれ変わりました。
博物館の2階の常設、特別展示室が有料にになっていて、入場料は
大人 300円
高校生大学生 200円
小中学生 50円
となっています。

芹沢銈介美術館との共通券も、大人580円、高校生大学生360円、小中学生120円と別々に購入するより断然お得です。
毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)と祝日、年末年始は休館です。
チケットは1階の入口の自動販売機で購入します。
チケットを購入したらそのまま2階に上がって、常設展の入口でスタッフに入場券を見せて入場する仕組みです。
尚、開館時間は9:00〜16:00までとなっています。
それではここから、階ごとに博物館を見て行きましょう!
登呂博物館 1F無料ゾーン
博物館の1階は、開館時間の間なら誰でも無料で入場できます。
土産物や飲食物を販売する売店や、ベンチもあるので歩き疲れた際の休憩スポットとして利用されてました。
遺跡や考古学に関する図書館もあって、貸し出しはできませんが自由に閲覧できます。
さて、ここから無料の展示室を見ていきましょう。
入口には、小学生の体験学習で制作された木彫りの船や弥生時代の道具が展示されています。
かなりクオリティが高いですね。
こちらは複製ではありますが、弥生時代に使用されていた土器の数々を展示しています。
かなりの種類で、2000年前に作られたとは思えないくらい芸術性のある土器ばかりでした。
その奥には、竪穴式住居が再現されていて、建物の仕組みが紹介されています。
こちらには祭壇があって、
さらには高床式倉庫もありました。
これらは外にある物よりもスケールの小さいサイズで、全て内部を見ることができます。
ここは、弥生体験展示室と呼ばれる部屋で、弥生時代の登呂村にタイムスリップした気分になれる部屋です。
壁には弥生時代の村の絵が描かれ、時間が経つと夕方になったり夜になったりします。
祭壇と竪穴式住居には実際に内部に入ることができます。
真ん中に祭壇が置かれているのが分かりますね。
柱が低いので、見学の際は頭をぶつけないように慎重にいきましょう。
高床式倉庫は、直接中には入れませんが、梯子を登って中の様子を覗くことができます。
収穫した稲を保管していた高床式倉庫。
どのように保管されていたのかが、一目で分かります。



登呂博物館 2F有料ゾーン

ここに展示してあるのは、全て弥生時代に実際に使用されていたものなのです。


高床式倉庫がどのように建てられていたのかが、分かりやすく紹介されていました。


正直無料展示室だけでも十分なんですが、貴重な土器や道具がたくさん見れるので、せっかく訪れるのなら有料展示室を訪れて見ることをおすすめします。

不定期ですが、特別展示もやっています(有料)
登呂博物館 3F屋上テラス

芝生が生えそろって開放感があり、無料で入場することが可能です。


秋口の晴れた日にこれだけ綺麗に見ることができるのですから、冬場の晴れた日にはもっと綺麗に眺めることができるでしょう。
階段がきつい人のために、エレベーターも完備されているので、忘れずに訪れましょう。
登呂遺跡までの交通アクセス
まとめ
- 復元住居
- 高床式倉庫
- 博物館
- 復元水田
静岡市に観光に行く機会があったら、ぜひ訪れて見てください!