大都会でありながら、自然が多く住みやすい街ということで評価の高い福岡県福岡市。
そんな福岡市の中心部には、舞鶴公園という自然に溢れた公園があります。
舞鶴公園には、かつて福岡城が建っていた痕跡が残っていたり、平安時代に外交施設の役割を果たした鴻臚館(こうろかん)の遺跡が発掘されたりと、歴史的価値の高い公園としても有名です。
今回の記事では、そんな舞鶴公園にある歴史的施設を紹介していきます。
日本史が好きな方には特に必見の記事です。
是非訪れる際の参考にしてみてください!
目次
舞鶴公園とはどんな公園なのか?
舞鶴公園は、かつてこの場所にあった福岡城の本丸跡を整備した公園です。
福岡城の閉城後、1871年に廃藩置県によりこの場所に福岡県庁が設置され、5年後に県庁が移転した後、陸軍の駐屯地が第二次大戦後まで設置されました。
戦後になって、国体の開催に合わせて1948年には平和台陸上競技場、翌年には平和台野球場が完成し、ここから公園として開発が進んでいったのです。
また舞鶴公園は、福岡市を代表する桜の名所として有名で、特に福岡城天守閣跡には沢山の桜が咲き乱れ、見物客で賑わいます。
他にも、夏はアジサイ、秋は紅葉、冬はさざんかが見頃となるなど、四季折々の風景が楽しめる公園です。
そして上の写真にもあるように、公園の外堀にはハスの花を始め多くの花がたくさん咲いています。
そんな歴史的名所や自然が満載の舞鶴公園。
早速どんな見所があるのか見ていきましょう!
舞鶴公園見所① 三の丸広場
舞鶴公園は、巨大な池で有名な大濠公園と隣合わせになっています。
舞鶴公園と大濠公園、かつて2つの公園は福岡城の土地でした。
そして大濠公園の池は福岡城の外堀でもあったのです。
その大濠公園の池と平和台陸上競技場の間にあるのが、三ノ丸広場。
家族連れの人が遊んだり、のんびり芝生でくつろぐ人達で賑わっています。
広場内には牡丹芍薬園があり、4月と5月の間に美しい花を咲かせることでも有名です。
舞鶴公園見所② 歴史的遺跡 鴻臚館広場(旧平和台球場跡地)
先程の三ノ丸広場から平和台陸上競技場を抜けたところにあるのが、鴻臚館(こうろかん)広場です。
どう見てもただの芝生広場なのですが、1997年まではこの場所に野球場が建っていました。
その球場とは平和台球場。
1949年に開場した平和台球場は、翌1950年から1979年まで西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の本拠地として、1989年から1992年までは福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)の本拠地でした。
ボロくて狭いながら、野球に熱狂的な福岡市民の野球の聖地として長年愛されてきましたが、1987年に外野スタンドの一角に鴻臚館の遺跡が見つかったことで歴史公園として整備することになったのです。
こうしてホークスは、1993年に現在の福岡ドームへ移転。
4年後の97年に球場は取り壊され、現在のような芝生広場になりました。
40代以上の世代には、今でも舞鶴公園=平和台球場のイメージは染み付いているようです。
舞鶴公園見所③ 鴻臚館(こうろかん)跡展示館
「アジアの玄関」と呼ばれた鴻臚館の南側の遺構の発掘現場に、屋根と見学通路を加えて建てた展示館です。
鴻臚館の遺跡発掘現場が掘り起こした状態の姿で公開されていて、館内は無料で見学することができます。
そもそも「鴻臚館」はどのような役割をしていたのかというと、飛鳥、奈良、平安時代において外交施設の役割を果たしていた建物です。
中国や朝鮮からの使節団を迎えるために使用したり、日本が中国(当時は唐)に派遣した使節団として有名な遣唐使の宿泊施設としても利用されていたとのこと。
この他にも対外交渉の窓口になったりするなど、鴻臚館は当時の日本の国際交流の拠点として重要な位置を占める存在だったのです。

天台宗の開祖でおなじみの最澄や、真言宗の開祖としておなじみの空海も、ここを利用したと言われています。
福岡の他にも、大阪(難波)と京都(当時は平安京)に鴻臚館があったことが考えられているが、遺跡として発掘されたのは福岡だけです。
上の写真の発掘現場からは、鴻臚館で使用されていたであろう道具や陶磁器が次々と見つかりました。
展示館では、鴻臚館がどのような建物だったのか?発掘されたところに何があったのか?というのを絵や写真を使用してわかりやすく解説しています。
舞鶴公園見所④ 福岡城天守閣跡
福岡城は、旧福岡藩藩主の黒田長政によって1601年に建てられた城で、廃城された1871年まで福岡藩主の拠点として機能していました。
築城された時、ここは福崎という地名だったが、黒田氏の生まれ故郷である備前国(現在の岡山県)にある「福岡」という地名を取って、「福岡城」と名付けられたと言われています。

これが、福岡市という名前の由来となっています。
明治に廃城となったので城そのものは存在していませんが、石垣と櫓、一部の門は残っていて、福岡城の名残を現在に伝えています。
鴻臚館広場の前には、福岡城の東御門跡があります。
城があった頃は、三の丸や二の丸に繋がる福岡城のメインの入口でした。
東御門跡は福岡城見学のスタート地点。
なので見学の際は、ここから登って行くことをおすすめします。
東御門跡を通ったら、横に球技場とテニスコートを横目に歩いていくと、福岡城の二の丸跡に到着します。
ここは現在梅園になっていて、季節になると美しい梅の花が咲くので必見です。
二の丸の跡を見学したら、今度はこちらの表御門跡を通って本丸へ向かいましょう。
それにしても、石垣のスケールと石の大きさには驚くばかりです。
総延長は3km以上、高さは高いところで10m近くあるとのこと。
場所によって石垣の積み方が違うのが特徴で、色々見極めて見るのも楽しいですよ。
こちらが、福岡城の本丸跡です。
福岡市を代表する桜スポットとしても知られていて、春になると美しい桜で本丸が埋め尽くされます。
本丸からは、福岡市の中心部が一望できます。
福岡城は天守台、本丸、二の丸、三の丸と4層に別れた巨大な城でした。
本丸と次に紹介する天守台は一際高い位置にあるので、絶景スポットとしても有名です。
こちらが、福岡城天守台です。
かつてはここに天守閣があったとされていましたが、廃城に伴い城は取り壊されてしまいました。
現在ではこのように階段と展望台が整備され、福岡市内全体を見渡せる絶景スポットとして多くの人を集めています。
この場所からは、大濠公園や福岡タワー、PayPayドームなど、福岡市の西側の景色を眺めることができます。
美しい夜景を高いところから見れるので、夜に訪れるのもおすすめです。
最後に紹介するのは、こちらの多聞櫓。
国指定の重要文化財で、福岡城周辺で唯一江戸時代から変わらずに存在している櫓です。
高い石垣の上に建てられ、石落としなどがあることから、当時は敵の進入を防ぐために設置された櫓と言われています。
内部は16の小部屋に分かれているとのこと。
桜の季節にはライトアップもされます。
福岡城の名残を現代に伝えるとても重要な建物です。
広大なお堀に囲まれた福岡城跡は、このように見所がたくさんあります。
ちなみに現在大濠公園の中にある池は、元々は福岡城の外堀だったとのこと。
城跡もこれだけ大きかったのですから、どれだけ大きい城だったのかと色々想像が膨らみますね。
福岡城には、この他にも通用門として機能していた下之橋御門や、潮見櫓など、見所はたくさんあります。
かなり急な階段を登っていくので、散策はかなり大変ですが、無理の無い範囲で色々と回ってみてください。
模型や地図、写真や説明文を通して、福岡城の秘密や謎に包まれた天守閣のことについてなど、色々な角度から福岡城を知れる施設です。
ちなみに、こちらも入場無料。
舞鶴公園 交通アクセスの紹介
舞鶴公園は、大濠公園の隣にあるので、交通アクセスは大濠公園のアクセス方法とほとんど変わりません。
大手門から入場する場合は、福岡市営地下鉄の大濠公園駅の5番出口を出て徒歩5分歩くと、大手門と下之橋御門が見えてきたら、舞鶴公園線の道路を右に曲がれば舞鶴公園に着きます。
隣の赤坂駅からもアクセスが可能で、赤坂駅の2番出口から出て明治通りを西に徒歩7分ほど行けば、鴻臚館広場のところの入口に到着するので、こちらもOK。
西鉄バスでも、明治通りや昭和通りを走るバスがたくさん走っているので、そちらも利用できます。
まとめ
今回は、福岡城の天守閣跡や、平安時代の外交の拠点として使用された鴻臚館(こうろかん)の遺跡が眠っている不思議に溢れた公園、福岡舞鶴公園の名所を紹介してきました。
大濠公園の隣にあって、天神や博多駅からも地下鉄で簡単にアクセスできるので、福岡に観光に行くのであれば必ず訪れておくべき場所です。
福岡城はまだ天守閣がどんなものか分かっていなかったり、鴻臚館の遺跡もまだまだ調査中とのことで、日本史好きな人にとっては歴史のロマンをあちらこちらで感じ取れる最高の場所とも言えるでしょう。
ぜひ舞鶴公園を訪れて、深い福岡の歴史を勉強してみましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【地元民お気に入り】福岡の屋台で食べることができるおすすめ料理とは?